日刊  おっさんの人生これから大逆転だぜえ!(日本史+史跡+旅情報)

普通の会社員の“おっさん”が、パワースポットや史跡、戦跡を巡った記録です。旅行に出かけるときの参考にしてね! 史跡や歴史から学び 運気を上げて、“人生大逆転”を狙います。

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稲村ケ崎に人間機雷・伏龍の待機陣地があった!!

観光地として知られる神奈川県鎌倉市にある稲村ヶ崎
ここには、ツルハシで削った洞窟があります。
その狭い空間には、
ある特攻部隊が配置される予定でした。
それは人間機雷・伏龍。

(人間機雷・伏龍)
伏龍は、敵の上陸を水際で食い止めるために、終戦間近に海軍が考案した特攻部隊です。

兵士たちが潜水服を着て、50メートルほどの間隔で海底に潜み、この上を通過する米軍の上陸用舟艇に対し、突端に機雷がついた3メートル余りの竹槍で突いて自爆して沈めるという、なんとも無茶苦茶な人命軽視の特攻部隊です。
イメージとしては下のような感じです。


稲村ケ崎に伏龍の待機陣地が!)
神奈川県鎌倉市稲村ケ崎は、相模湾を一望に見渡す絶好の地形であることから、水際特攻作戦の拠点と位置づけられていました。

その稲村ヶ崎の海岸に伏龍の待機陣地がつくられ、現存していました。

ここを訪れた時は、ちょうど満潮で、しかも波が荒かったため、その穴に近づく事ができませんでした。
逆に滑って左手を捻挫しました。
断崖の中腹には、機銃陣地の銃眼が残っています。

拡大してみますね。

(伏龍ができた背景)
戦争末期は、敗戦が濃厚となり、体当たりの特攻用の飛行機の数も減り、海軍の予科練生たちが余剰人員となっていました。その彼らの新たな使い道として伏龍特攻隊が考え出されました。

そして1945年(昭和20年)5月26日、伏龍が制式兵器として正式に採用され「伏龍」と命名、3,000人分を整備する命令が下されました。

(海底に潜むため潜水服の総重量は80キロ)
伏龍は海底に長時間潜む必要があるため潜水服などの装備を付けます。
海の浮力や波に対しバランスを取る必要があるので鉛の潜水靴を履き、腹部には9kgのおもりをつけます。その総重量は80kgです。
しかし、当時は物資が不十分なため、潜水服は粗末なゴム製でした。
下の写真が伏龍の装備です。

さらに上陸戦を爆破させるための撃雷のついた3m30cm, 25kgの竹槍を持ちます。

下はアメリカ軍が終戦の翌年の1946年(昭和21年)にスケッチした伏龍です。

 

(潜水服の操作が難しく命を落とす人も)
伏龍は、総重量80キロという潜水服の重さにくわえて、その装備の取り扱いが難しく、毎日のように死者や負傷者を出すなど危険と隣り合わせでした。
(潜水操作が難しい)
伏龍は、海底に潜むのですから、まずは自身の身体を海の底へと運ばねばなりません。
海底に行くには、頭を傾け潜水服の側頭部にあるスイッチを押します。すると空気が抜けて浮力がなくなり、沈んでいき、そのまま潜水をするという仕組みです。


しかし、その操作の加減が難しく、これから海底に行こうというときに、誤ってスイッチを強く押してしまうと、完全に浮力が抜け、装備が重さ70キロもあるその重さで海底に墜落して、死亡したり重傷をおう人もいました。

(伏龍は危険と隣り合わせ)
また潜水時間を長くするため、海中での呼吸ができるように背中には酸素ボンベ2本と空気清浄缶を背負います。

呼吸は、「鼻から吸い口元の排気口へ吐き出す」という独特の呼吸法を行います。
酸素を潜水服内に送り、息を吐く時は口元の排気口から出します。それが管を通って背中に付けた苛性ソーダの顆粒が入った空気清浄缶を通過して二酸化炭素を除去し、再び潜水服内に送り込むという仕組みです。
その「鼻から吸い口元の排気口へ吐き出す」という呼吸法ができないと、大変な惨事を引き起こします。もし誤って逆に鼻から息を吐いたらスーツ内の炭酸ガスが増え、中毒になって動けなくなります。

 また、清浄缶はビスケット缶のような薄い金属のブリキ製で、指で押すとベコベコするほどの強度しかないものでした、
そのため海底の岩などで擦るとすぐに破けてしまいます。もし破損して海水が混入すると、苛性ソーダが化学反応を起こし急激に温度が上昇します。
重い装備を身に着け、さらに自由に身動きがとりにくい海中で、このような状況になると大変です。
また、同時に呼吸法を間違えると、この劇薬が排気管を逆流して口から体内に入ってしまい、苦しみながら息絶えます。

(そもそも成果が期待できるのか?)
伏龍は海底に潜んでいても潜水服の視界は非常に限られ、また浮力や波の影響で海中で思うように動くことが出きません。

さらに目的である、実際に船を下から突けたかどうかも疑わしいです。海中での移動が自由にできないので、敵の舟がタイミングよく自分の上を通らない限り戦闘ができません。
運良く攻撃に成功して船を爆破させれば、50m間隔で配置されている特攻兵もその衝撃で全滅します。
まったく人命軽視の非常に良くない戦い方です。

 

 

 

伏龍の訓練地は久里浜横須賀市野比海岸で、稲村ケ崎の海岸にある洞窟が、伏龍特攻隊の待機陣地でした。

この伏龍は実戦されることがなく、特攻訓練中に終戦を迎えました。

<<伏龍の待機陣地がある稲村ケ崎への行き方>>
稲村ヶ崎駅徒歩5分 
駐車場がなく、道も狭いので、ここは車で行くより、電車が絶対おすすめ!
住所:神奈川県鎌倉市稲村ガ崎1-19


若者が海水浴、ウインドサーフィンを楽しんでいる
久里浜野比海岸、稲村が埼・・。
ここで太平洋戦争末期に、同じような年代の若者たちが、
粗末な備品で人命軽視の訓練を強いられ、
そのうちの幾人かは命を落としたことを、
決して忘れてはいけません。
そして、このような事を二度と起こしてはいけません。