日刊  おっさんの人生これから大逆転だぜえ!(日本史+史跡+旅情報)

普通の会社員の“おっさん”が、パワースポットや史跡、戦跡を巡った記録です。旅行に出かけるときの参考にしてね! 史跡や歴史から学び 運気を上げて、“人生大逆転”を狙います。

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実は私はオリンピックに参加しました ~1988年ソウル五輪に参加した時の話~

普通のおっさんが、オリンピックに参加していた・・
そんな話を聞いたら、あなたはどう思いますか・・
五輪に参加した男・・それは、この私です!!
おっさんは、超一流スポーツ選手とはほど遠い

普通のおっさんですが、五輪に参加したのです!!
(大学がちょうど休みなのでソウル五輪を見に行く)
1988年(昭和63年)9月17日から10月2日までの16日間にわたって韓国の首都・ソウルでソウル五輪が開催されました。

当時、おっさんは大学生。ちょうどこの時期は、国立大学では夏休み明けの前期試験が終了し、後期授業が始まるまでの、いわゆる秋休みでした。 
この時期、お隣の韓国でソウル五輪が開催されていました。
「五輪を見るチャンスはそうない。よし行こう!!」と決意したおっさんは、近畿日本ツーリストが主催するソウル五輪観戦ツアーでソウル五輪の最終日・10月2日にある、男子マラソンと閉会式をソウルの五輪スタジアムで見ることにしました。

ソウル五輪最終日に男子マラソンと閉会式を観戦)
10月2日、ソウル五輪最終日に行われる男子マラソンでは、メダルが期待できるダイエー所属の中山竹通選手や新宅雅也選手がいました。
そして男子マラソン終了後はそのまま閉会式が開催されることになっていました。

当日、ソウルの五輪スタジアムに入場する時には、カラーボードと小型FMラジオを配布されました。カラーボードは赤と青の2色で電池が内蔵され発光する仕組みになっていました。ラジオはイヤホン付きです。

どうやらこの2つを使い五輪会場で文字を作成するようです。
(男子マラソン中山選手メダルに手が届かず・・)
ラソンでは、中山選手が最初から飛ばし、トップを独走します。ソウルのオリンピックスタジアムにある大型ビジョンには、トップを走る中山選手の姿が映し出されます。

しかし、レース中盤で中山選手はダウンし、結局イタリア人選手が優勝し、中山選手は4位で惜しくもメダルには手が届きませんでした。

(閉会式開始)
こうして男子マラソンが終了し、ソウルの五輪スタジアムでは閉会式が始まりました。

いよいよ入場の時に入り口で配られたカラーボードと小型ラジオの出番です。
カラーボードは、めくって赤と青の2色を出すタイプで電池が内蔵されていて発光します。
小型ラジオは、イヤホンがつながれていてこのラジオから流れる音声にあわせて、カラーボードの色を変えるというしくみです。なおラジオから流れる音声は「red」「Blue」とボードを閉じる「CLOSE」など英語でした。

閉会式が始まりました。各選手が国や地域を越えバラバラでスタジアムに入場し、IOCサマランチェ会長が演説します。そして次の開催地のバルセロナへと引き継ぎました。
そしてスタジアムの照明が消され、観客が一体となった閉会式セレモニーです

ラジオから流れる「red」「blue」「CLOSE」の指示に従いカラーパネルの色を変えていきます。

あとからTVで見たら「THANK YOU」や、「GOOD BYE」や「SEE YOU IN BARCELONA」といった文字がスタジアムにいた観客のボードで作られていました。そしてその文字の一部に自分が参加していると思うと大興奮しました。

・・ということで、1988年(昭和63年)10月に開催されたソウル五輪閉会式に観客が参加した閉会式セレモニーの一員として、五輪に参加しました。

帰国したあと、貴重な思い出の品物になるので、ボードや小型ラジオを記念の品として田舎の自宅に保管していたのですが、なぜか紛失してしまいました(大残念!!)
・・・ということで、このことは、おっさんの記憶の中にしかありません。
五輪に参加した男・・・それは私です!!