日刊  おっさんの人生これから大逆転だぜえ!(日本史+史跡+旅情報)

普通の会社員の“おっさん”が、パワースポットや史跡、戦跡を巡った記録です。旅行に出かけるときの参考にしてね! 史跡や歴史から学び 運気を上げて、“人生大逆転”を狙います。

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7月29日、濃霧にまぎれ、全く犠牲を出さずにキスカ島の守備隊5,200人の短時間撤退に成功!「ケ」号作戦無事完了!

7月29日、
周りを敵に囲まれた状態のキスカ島で、
濃霧を利用し
キスカ島守備隊の撤退作戦である「ケ」号作戦が

大成功します。
(太平洋戦争で日本軍が占領したアメリカの領土)

太平洋戦争中の1942年(昭和17年)6月7日にキスカ島、翌8日にはアッツ島を占領しています。
太平洋戦争で、日本軍が初めてアメリカ領土に上陸し占領したのが、この2つ島です。

そして、これは第二次世界大戦で、アメリカ領土に敵軍が上陸し占領した初めてのことです。

キスカ島占領)

1942年(昭和17年)6月7日、キスカは日本軍に占領されます。キスカ島は御覧のようにアメリカ本土と日本列島の中間にあります。

下の写真は、6日にキスカ島で海軍旗を掲げる海軍陸戦隊の将兵です。

(大成功!キスカ島撤退)
しかし、戦局とともにキスカ島から守備隊が撤退する必要が出てきました。
そしてキスカ島では、キスカ島守備隊の撤退作戦である「ケ」号作戦が1943年(昭和18年)5月27日から7月29日にかけて、行われました。
作戦名は、運を天に任せて大勝負をする「乾坤一擲(ケンコンイッテキ)」から、名付けられました。

当初は潜水艦15隻を使った物資の補給と傷病兵の輸送を行いますが、アメリカ軍がレーダーなどを使って厳重な警戒を行っているために、被害が大きく失敗しています。

(濃霧を利用)
そこで、この地域に発生する、視界ゼロに近い濃霧に紛れて高速で駆逐艦等がキスカ湾に突入し、そこで素早く守備隊を収容して、迅速に離脱するという計画が立てられました。
(7月29日決行)
そして、気象条件を考えキスカ島への突入は7月29日と決断されました。

キスカ島一体が濃霧につつまれた29日13時40分、キスカ島の鳴神湾に投錨した艦隊に、キスカ島守備隊員約5,200名が約1時間で乗り移り、ただちに全速で離脱しています。

収容部隊を指揮したのは、第五艦隊第一水雷隊司令官・木村昌福(きむら まさとみ:当時51歳)です。

木村は濃い霧をうまく活用しキスカ島を包囲していた連合国軍に気づかれることなく、5千名余りの日本守備隊撤収を成功させました。

この日本軍の撤退後も、米軍はまったく気がつかず、その後、日本兵がいなくなったキスカ島を艦砲射撃や航空猛爆撃を行い8月15日に3万4000名の兵力で上陸作成を行っています。

(米軍へのプレゼント)
こうしてまんまと無傷でキスカ島から撤退した日本軍ですが、上陸してくるであろう
米兵に置き土産をしています。

まずは、日本軍の軍医が、上陸するであろう米軍へ「ペスト患者収容所」と書かれた立て看板を兵舎前に残しました。これを見た上陸部隊はパニック状態に陥り、アメリカ本郷に大量のペスト用血清を要請する電文を打ちます。

また、地下司令部には、星条旗で仕立てた座布団がテーブルの周りに敷かれていて、その黒板には「おまえたちは、ルーズベルトの馬鹿げた命令に踊らされている」と書いてありました。

・・・ということで、
7月29日はキスカ島からの完全撤退が成功した日です。