日刊  おっさんの人生これから大逆転だぜえ!(日本史+史跡+旅情報)

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玉音放送後の特攻 第五航空艦隊・宇垣纏司令長官 

1枚の写真があります。
終戦の日の夕方に撮影されたものです。
映っているのは、
第五航空艦隊の
宇垣纏(うがきまとめ)司令長官(55歳)、

その後方には、艦上爆撃機の彗星(三三型)があります。
宇垣長官は、この写真が撮影された数時間後、
彗星に乗り特攻に出撃し、散華します。

玉音放送後の特攻出撃)
1945年(昭和20年)8月15日の正午、ラジオから玉音放送が流れ日本の敗戦が伝えられました。

しかし、その夕方、大分海軍航空隊基地から11機の特攻機が飛び立っていきました。
九州で特攻を指揮していた第五航空艦隊・宇垣纏司令長官ら23人が出撃したのです。
そして、18人が命を落としました。
(8月15日玉音放送
8月15日正午、大分海軍航空隊基地では搭乗員らを除いた整備員などの基地関係者が、ラジオの前に整列して玉音放送に耳を傾けます。そして、戦争が終わったことを知り
ます。

その前日、第五航空艦隊・宇垣纏司令長官は翌正午に重大放送があり、それがポツダム宣言受諾による無条件降伏であるらしいことを知りますが、

「正式な停戦命令は受けていない。戦闘はなお継続中である。」

「俺が乗って行くので、攻撃準備を整えてくれたまえ。」

「武人として、俺に死場所を与えてくれ。必勝を信じて喜んで死んで行った多数の部下のもとへ、俺もやらせてくれ。」

と訴え、自ら特攻に出撃することを伝えます。

8月15日の16時15分、宇垣と幕僚たちは大分基地の飛行場に到着します。
飛行場には、800キロの爆弾を抱え出撃準備を終えた11機の「彗星」(三三型)が用意され、搭乗員22名(中津留大尉を含む)が待っていました。

(長官とともに・・)
当初は、彗星五機での出動を命じましたが、部下達が「長官が特攻をかけるというのに出動可能な十一機を全部飛ばすべきだ。もし命令が変更されないようなら、我々は命令違反を承知で長官についてゆく」というのです。

これを聞いた宇垣長官は、「では、命令を変更する。彗星艦爆十一機をもって、只今より沖縄の敵艦隊を攻撃する。」と言います。

宇垣長官は中津留大尉が操縦する彗星に搭乗しました。「彗星」は2人乗りですが、
宇垣、中津留、遠藤の3人が乗ることになりました。

山本五十六と宇垣)
高官が死地に赴くときには階級を示すものを外す習慣があったため、宇垣は、軍服から中将の階級章を外し、そして山本五十六から遺贈された短刀を持参していました。
山本五十六。。。??と思う方がいるかも知れませんので、説明します。

開戦前の1941年(昭和16年)8月1日、宇垣は帝国海軍連合艦隊参謀長になります。このときの連合艦隊長官が山本五十六でした。
下の写真は1941年(昭和16年)開戦前に撮影された海軍の集合写真で、宇垣の右斜め前にいるのが山本五十六です。

(8月15日夕刻出撃す)
8月15日の17時過ぎ、特攻隊は合計11機23名で沖縄沖に向かって大分基地から出撃します。

20時25分に宇垣機より「ワレ突入ス」と入電があり、そのあとに突入を意味する「ツー」という突入電が15秒ほど続きました。

しかし、米軍発表によると、特攻隊による米軍側の損害はなかったそうです。
停泊していた戦車揚陸艦に特攻したと思われるものの失敗し100M離れた伊平屋島岩礁に激突した機体が見つかりました。米軍側の記録によると、これが宇垣の搭乗していた1番機と判断されています。

なお、この特攻による戦死者は宇垣を含め18名で、5名が生還しています。

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終戦と停戦命令)

さて、ここで少々ややこしくなるので話を整理します。

日本がポツダム宣言を受諾し降伏することを連合国に伝えたのは、玉音放送の前日、
8月14日午後11時。

8月15日正午が玉音放送。この玉音放送は、天皇が国民に敗戦による戦争の終結を知らせたもので、“停戦命令”ではありません。


そして大本営が陸海軍に、正式に停戦命令を出したのは翌日、8月16日です。

〈停戦交渉成立ニ至ル間 敵ノ來攻ニ當リテハ止ムヲ得ザル自衛ノ為ノ戰闘行動ハ之ヲ妨ゲズ〉

この16日の指令では『停戦交渉が成立するまでの間は、自衛目的の戦闘は妨げない』としています。つまり条件付きの停戦命令です。

その3日後の8月19日に、支那方面艦隊をのぞく全部隊にいっさいの戦闘行動を停止することを命じますが、その期限は8月22日午前零時でした。
これには、『一切の戦闘行動停止』と書かれていますが、『中国方面は追って定める』と例外を認めています。
なんとも複雑です。

 

・・ということで8月15日は玉音放送の日ですが、
その夕刻、第五航空艦隊・宇垣纏司令長官が
特攻出撃しています