日刊  おっさんの人生これから大逆転だぜえ!(日本史+史跡+旅情報)

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8月26日、昭和の脱獄王:白鳥由栄、難攻不落・脱出不能と言われた網走刑務を脱獄

1944年(昭和19年)8月26日、
脱出不可能と言われた北海道の網走刑務所で
1人の男が脱獄に成功します。
昭和の脱獄王・白鳥由栄(よしえい)です。
(味噌汁の塩分を利用して)
網走刑務所を脱獄するにあたり、白鳥は、1年間、食事として出された味噌汁を手錠と視察孔の釘に吹き続けます。

やがて、味噌汁の塩分で腐食し手錠が外れます。そして関節を脱臼させ、監獄の天窓を頭突きで破り脱獄に成功します。白鳥37歳でした。

(昭和の脱獄王:白鳥由栄とは)
白鳥は、手錠を自力でねじ切る怪力を持ち、自ら肩の関節を外せるという柔軟性をそなえていました。
そして、彼の脱獄は、「受刑者に対する態度が劣悪だったことからの抗議の脱出」で、網走刑務所を含め、生涯4度の脱獄を行っています。
逃げるときは、つらく当たった看守に「脱獄する」と予告した一方、親切にしてくれた看守に迷惑がかからないよう、その人が休みの日に脱獄を狙ったそうです。
さらに「方々の集落から少しずつ盗む」、「逃げたら山中深くに潜る」、「移動は徒歩で昼歩きは禁物」、「本道は行かず橋だけ渡り間道・獣道を歩く」という「逃走4戒」を固持していたそうです。

白鳥が最初に脱獄したのは28歳のとき。以後3回の脱獄に成功し、26年間の獄中生活で一般社会に出たのは3年あまり。仮出獄した時は、54歳になっていました。

それでは白鳥の4回の脱獄を見てみます。

(最初:青森刑務所:手製の合い鍵)
劣悪な刑務所の待遇に抗議しますが、逆に懲罰房に入れられたため脱獄を決意します。
1936年(昭和11年) 28歳の時に、手桶の箍で手製の合鍵を作り、それで開錠して脱獄します。しかし3日後に捕まります。

(2回目:秋田刑務所:天井を登る)
1941年(昭和16年)10月、秋田刑務所に移監されます。収監されたのは、高さ3メートルで天窓があるだけの特別独房でした。
あまりの寒さに防寒着を要求しますが拒否されたため、脱獄を決意します。
白鳥は収監された鎮静房の天窓の窓枠のブリキ片と古釘を見つけ、釘でブリキ板の縁をギザビザにして簡易ノコギリを作ります。
このノコギリで看守の交代時間を狙い、一日10分間だけ、鉄格子の周囲を切り取る作業を毎日行い、切り取りに成功します。
そして1942年(昭和17年)6月、暴風雨が襲った日に、壁をつたって登り、暴風雨に紛れて鉄格子を外して天井から脱出します。さらに刑務所の工場の丸太を足場にして壁を乗り越えます。このとき白鳥は34歳でした。

(3度目:網走刑務所:味噌汁でサビを作る)
秋田刑務所を脱獄した3か月後、白鳥は小菅刑務所で世話になった看守長の小林良蔵の元を訪れ、自首します。

せっかく脱出したのに、自分から捕まりに行くとは不思議な話ですが、白鳥は刑務所での囚人の酷い仕打ちの数々を訴えるための自首でした。

こうして捕まった白鳥は、脱出難攻不落と言われる網走刑務所に移監され、凶悪犯専用の特別房に入れられます。
ここで白鳥は、真冬でも夏物の単衣一枚の着用、夏には逆に厚着をさせられるという虐待を受けます。そして手錠や足錠は、ほとんど外すことが許されず蛆が湧いてくる状況でした。このままでは死んでしまうと覚悟した白鳥は脱獄を決意します。

今回の脱獄の手段は味噌汁でした。
白鳥は、食事に出された味噌汁を手錠と視察孔の釘に1年間、吹き続けます。やがて、味噌汁の塩分で錆びていき、外れました。
そして関節を脱臼させ、監獄の天窓を頭突きで破り脱獄します。

こうして難攻不落と言われた網走刑務所から脱獄した白鳥は、山中に2年間身を潜めますが、終戦後に畑泥棒と間違えられ農家に袋だたきにされてしまいます。この殴られたことに逆上した白鳥は相手を殺害し、捕まります。

(4回目:札幌拘置所
裁判で白鳥は正当防衛を主張しますが、聞き入れられず札幌地裁から死刑判決が出たために、またもや脱獄を決意します。
この頃には、脱獄王白鳥の脱獄技術は知れ渡っていたため白鳥には特別房が用意され、扉・窓・鉄格子・採光窓なども全て補強され 、看守6人1組で厳重に監視されるという特別厳重監視体制となりました。

しかし、白鳥は、特別房の中で、隠し持った金属片でノコギリを作り、床板を切断し、食器で穴を掘って少しずつトンネルを堀ります。
そして1947年(昭和22年)3月、穴を通り外に出て4回目の脱獄を行います。白鳥39歳でした。

(最後は模範囚)
こうして世に出た白鳥ですが、あるとき、警官から、当時は貴重品だった煙草を与えられます。それがきっかけで、自分が脱獄囚だと明かし自首します。
これまで刑務所で人間的な対応をされなかった白鳥は、煙草をくれた親切な扱いで心が動いたと話しています。

こうして白鳥は府中刑務所に収監されますが、ここでは白鳥を一般の受刑者と同様に扱ったため、白鳥は真面目につとめ、模範囚となりました。
そして1961年(昭和36年)12月22日午前6時30分、白鳥が仮釈放で府中刑務所の正門を出ます。このとき白鳥54歳、脱獄に賭けた26年が終わった瞬間でした。

4度の脱獄を成功させた白鳥は、
青森では「鍵を使い房扉から」、
秋田では「銅板張りの壁面を登って天窓を破り」、
網走では「味噌汁で腐らせ」、
札幌では「穴を掘って」
脱獄を成功させました。

 

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・・・ということで
8月26日は脱出不可能と言われた網走刑務所で

昭和の脱獄王・白鳥由栄が脱獄した日です。