今年2021年(令和3年)で誕生50年!!半世紀です!!
(ヒントはアメリカ人の食べ方)
カップヌードルは、ちょっとしたことで生まれました。
1958年(昭和33年)に世界初のインスタントラーメン・チキンラーメンを開発した安藤百福(あんどう ももふく)が、 インスタントラーメンを国際食にしようと外国人にも食べやすい方法を考えていました。
安藤は、日清食品の社長だった 1966年(昭和41年)に、 チキンラーメンをアメリカのバイヤーに 売り込みに行きます。
そのときに バイヤーがチキンラーメン砕いて紙コップに入れ、 そこにお湯を注いで
フォークで食べている姿に遭遇します。
ここからカップにお湯を注ぐだけで食べることができるカップラーメンのアイデアを
思いつきました。
その開発の研究を行い、ついにカップヌードルが完成。
『いつでも、どこでも、食べたい時に、食べられる。』をキャッチフレーズに販売を
開始します。
横浜市にあるカップヌードルミュージアムには、発売当時のカップヌードルが展示されています。
(浅間山荘事件でヒットに!)
販売当初、カップヌードルは100円。当時袋麺が30円で売られていましたので袋麺の3倍以上するカップヌードルの売れ行きは悪く、販売は苦戦します。
販売員は、 野球場の東京スタジアムや、夜勤が多い職場の警察署や消防署などで試験的に販売しPRを続けます。
そして1972年(昭和47年)に起きたあさま山荘事件で、雪山の中で機動隊員たちがあつあつの湯気が出るカップヌードルを食べる様子がテレビに映ったことがきっかけで売れ始めます。
(カップヌードルの思い出)
カップヌードルが発売された1972年(昭和47年)、おっさんは九州の田舎都市の小学生でした。
当時、小学館が「小学○年生」という月刊雑誌を販売していましたが、その本の漫画「オバケのQ太郎」にカップラーメンの話があったのを覚えています。ストーリーは、楽しみにしていたカップヌードルをようやく入手し食べようとお湯を注いだところ、
待っている間に色々とやるべき事が発生し、それがすべてかたづいてようやく食べようとしたら時間がたちすぎて麵が伸びてしまいました・・という話でした。
しかし、当時、おっさんが暮らしていた九州の田舎にはカップヌードルがまだ普及していないため、このストーリーがなんなのか全くわかりませんでした。
そして、その数ヶ月後にカップヌードルを実際に食べて、そのとき初めてあの話の意味が理解できた・・ということを記憶しています。
また、その数年後は、バスターミナルや駅に自動でお湯が出てその場でカップヌードルを食べることができる自動販売機が登場し、一度利用してみたいなあと思っていました。
カップヌードルは海外にいるとき急に食べたくなりますので、海外に行くときには2.3コは持って行きます。
今でもふと食べたくなる時があります。
器を用意しなくても、お湯を注いで3分間待てば出来上がるので便利です!!
(50年目フタが変わった!!)
2021年(令和3年)6月、カップヌードルは、フタを止めるシールをなくし 2カ所のフタを押さえるWタブとなりました。
新しいフタ、どんな感じでしょうか?実際に使ってみました。
フタをはがすと裏側はネコちゃんです。よだれを垂らしています。
裏フタにはネコちゃん以外に、6%の確立でチベットスナギツネがいるそうです。
お湯を注いで・・・。
このように2か所フタをします。
なお、裏フタはこんなになっています!!
(世界に1つのオリジナルカップヌードルが作れる!!)
上記写真は、2021年(令和3年)の夏におっさんが作った世界唯一のオリジナルカップヌードル。「おっさんの人生これから大逆転だぜえヌードル」
実は、横浜市にあるカップヌードルミュージアムで誰もが簡単にオリジナルカップヌードルを作ることができます。
【オリジナルカップヌードルの作成について書いたブログはココ】
このオリジナルカップヌードルを作ることができる「カップヌードルミュージアム」では、カップヌードルやチキンラーメンの歴史などを知ることができます。
【カップヌードルミュージアムについて書いたブログはココ】
【カップヌードル公式HP】
カップヌードルは改良を重ね、
人々に親しまれて半世紀!!今も変わらぬおいしさです。
今や世界中で食べられている
発売されたのが9月18日です。