日刊  おっさんの人生これから大逆転だぜえ!(日本史+史跡)

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大河ドラマ「鎌倉殿の13人」感想 ネタバレ第19話「果たせぬ凱旋」

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大河ドラマ「鎌倉殿の13人」。

最近は日曜日にBSで見て、ストーリーを書いてもう一度流れを把握し、土曜日の昼からの再放送を見る という流れが定着しています。

ストーリーを確認した上で再度見ると「ああそうだったのか」と新たな発見が

あります。

 

大河ドラマ「鎌倉殿の13人」第19回「果たせぬ凱旋」の平均世帯視聴率が13・2%(関東地区)で前回より0,5ポイントアップです。

 

それでは第19話「果たせぬ凱旋」のあらすじを見て見ましょう。

 

(鎌倉殿の13人第19話「果たせぬ凱旋」あらすじ+解説)

 

(行家がまたやってきて。。)

平氏を滅ぼす大活躍を果たした主役なのに、頼朝と対立し鎌倉入りを拒否された義経は京に戻って来ました。

京都での生活を余儀なくされ、生まれも育ちも武蔵国義経の本妻・里は「私まで鎌倉に帰れないとはどういうことですか。離縁してください」と訴えます。

そのとき義経の叔父・源行家が、義経宅に姿を現します。

このお方、味方につけたらみなが滅んでしまうというお方です。

この行家が、義経に対し、鎌倉に攻め入り、頼朝の首をとれと促します。しかし義経は兄とは戦う気持ちはなく、断ります。

 

検非違使の職が解かれれば・・)

義時は、頼朝と義経に仲直りをしてもらい、義経に鎌倉に戻って来て欲しいと考えます。そして、頼朝の智恵袋の大江広元が「法皇さまにお願いして、九郎殿を受領(=政務を執る国司の最上席の者)にしていただきましょう。」とアイデアをだします。

源頼朝も「いっそのこと、九郎を伊予守にしよう。」と乗り気です。

 

義経が伊予守になれば自動的に検非違使は解かれるので、これで、京を離れ鎌倉に戻ることが可能となります。

頼朝には、義経が謝罪すれば直接会って、義仲や平氏を滅亡させた戦の功をねぎらいたいという気持ちがありました。

御家人達は、義経が剣非違使の官職を解かれ、鎌倉に戻ってくると思っていました。

 

義経の期待 瞬殺)

鎌倉からの文を見た義経は妾の静に「喜べ!鎌倉に帰れる」と話します。

受領になり剣非違使の官職が解かれたならば義経は京にいる理由がないからです。

しかし、後白河法皇は、ここで奇策を用います。

義経を伊予の守に任命しましたが「剣非違使はそのままでよい。」としました。

この受領と剣非違使の兼任は前例がない事です。

この通達に鎌倉に帰ろうと期待していた義経は落胆します。

一方、鎌倉では頼朝が「九郎は戻ってこない気だな。わしより法皇様をとるということか。もう帰ってこんでいい!顔もみとうないわ!!」と怒ります。

物事が悪い方向に進んでしまいます。

 

(前妻に聞くか?)

その後、頼朝は八重に「お前の考えが聞きたい。九郎のことじゃ。実の弟じゃ、許してあげたい。わしはどうすればいい?」と相談します。

 

八重は「子供たちからも相談されます。でも子供たちは、相手を信じる気持ちが勝るから最後は仲直りします。」と伝えます。
この2人、かつての夫婦です。別れたのにまた2人キリになり。。なんなんでしょうね・・。

頼朝は八重と話し「気持ちが楽になった。義高だって殺したくなかった。死んでもらうことで…」と言います。

ふと傍らに目をやると、そのやりとりを頼朝の長女で、許嫁の木曽義高を殺されメンタルにダメージを受けている大姫が黙って聞いていました。

 

(父の供養に)

政子や時政は、頼朝と義経の関係悪化を心配していました。時政は「兄弟のことは兄弟で任せるのが1番だ」と言い、ここで頼朝の異母体の阿野全成が、義経が鎌倉にやってくる大義名分のアイディアを考えました。

 

阿野全成は「この10月、父・義朝の供養が勝長寿院で行われることになっています。

そこに九郎を呼ぶというのはいかがでしょうか」と提案します。

平家討伐の報告をする供養であれば、後白河法皇も認めるだろう…と義時も賛成し、

この話を頼朝にもって行きます。

御所にて、義時は頼朝に「義朝様を弔うのに、九郎殿がいないというのはいかがなものでしょう」と提案。頼朝も「九郎が顔をだせば亡き父も喜ばれるだろう」と言い、まんざらでもありません。

この席に三善康信がいました。京都にいるときに、後白河法皇を中心とした動きを鎌倉に随時知らせてくれていた人です。

彼は「法皇様には、鎌倉殿と九郎殿がぶつかるのをむしろ望んでいる節がございます。昔からのやり方です。大きな力が現れると、それに抗おうとするものを作りたがるのです」と言います。

 

(義時と義経

京では義経をめぐって本妻の里と妾の静が同席し言い合いをします。そして静は、自分のおなかの中に義経の赤ちゃんがいることをつげ、当然里は腹が立ちます!!(これが次の事件につながります)

義経は、言い争いを続ける里と静の2人に話させて、席を立ち京に来た義時と会います。

義時は、鎌倉での供養の話しを持ち出し「鎌倉殿も九郎殿に会いたいのです。」と話します。

それを聞いた義経は「父の供養に行きたくないわけない。…供養の後は?」と尋ねると義時は「無論、鎌倉にとどまり、鎌倉殿にお支えを…」と伝えます。

これは明るい兆しかに思えました。

 

後白河法皇の芝居)

しかし、京にいた義経の叔父・源行家義経に「鎌倉に入れば捕らえられ、首をはねられるぞ。木曽義仲も、せがれも、甲斐の武田もどうなった?源氏一族とて容赦しない。なぜわからぬのだ!!」と言い鎌倉行きを止めようとします。

後日、義経後白河法皇に逢い、「鎌倉へ行き、父の供養に参列しとうございます。」と鎌倉行きの許しを求めます。

ここで後白河法皇を少し解説。

後白河法皇は、当初は1155年に第77代の後白河天皇として即位します。

天皇在位はわずか3年でしたが、その後、上皇、さらに出家して法皇となり30年以上

院政を敷きます。

さて、 義経の願いを聞いた後白河法皇は、「よかろう、いって参れ。」と義経の鎌倉行きを承諾しますが、発言している最中に、めまいをおこし倒れてしまいます。

これは一大事と駆け寄ってきた義経が、法皇の脈を測ると脈がありません!!そして力のない声で後白河法皇は「行かないで」とつぶやきます。これを聞いた義経は鎌倉行きを断念します。

これは、実は、後白河法皇義経を引き止めるための演技で、法皇は脇で鞠を挟み、

脈を止めたのです。おいおい法皇様よ!!

(このとき、ナレーションで「真似をしてはいけません」と注意が出ます!)

 

(仕掛けられた企て)

こうして鎌倉行きのチャンスを逃した義経は自宅で静御前に膝枕をしてもらっていました。

そこへ、里が荒くれ者の集団を義経の屋敷に引き連れ殴り込みに来ました。里は「女は殺していい。九郎様はダメ。痛めつけるだけ。顔は勘弁して」と土佐坊昌俊らに指図します。

ここで、懐かしのフレーズ「顔はやばいよ、ボディにしな ボディに」が浮かんだのは、おっさんだけではないはずです。。

荒くれ者どもが義経の部屋に乱入し義経との乱闘が始まります。やがて、騒ぎを聞いた弁慶も参加し大立ち回りとなります。

ここで注目は、鎧身に着けている賊に対して、義経は着物姿!!それなのに勝ちます!!すげーー

そこに叔父の行家がやってきて、義経に「あれは、鎌倉が送ってきた奴だ。他にそなたの命を狙う者がどこにいる?」と言い、「血を分けた兄弟ではないか!私はどうすればいい?」と戸惑う義経に対し「挙兵するのだ」と力強く告げます。

 

 (頼朝追討令)

10月18日、義経と行家の要請に応じ、後白河法皇は頼朝討伐の宣旨を出します。

これで頼朝義経兄弟の仲は完全に引き裂かれました。

そして10月22日には、頼朝のもとに義経の挙兵の知らせが入り、頼朝は「京に攻めのぼる」と言います。

しかし、この挙兵に対し御家人たちはやる気が見られません。義経とともに戦った体験から、義経が戦に強いことを知っていて、そんな戦上手の義経とは戦う気が起きないのです。

 この沈んだ雰囲気の中、梶原景時が「鎌倉殿。この梶原に総大将をお任せください。」と名乗りをあげます。

しかし、共に戦おうと続くものがいません。

義時が三浦義村に目線で合図をし、義村も戦に参加を表明します。

この義村の参戦表明で、畠山重忠和田義盛も名乗りを上げます。

会合の後、義村は義時に「心配するな。俺の読みでは戦にはならん。九郎殿は戦わずして負ける。あいつは都では人気だが、肩を持つのは戦に出なかった連中だ。命拾いした兵たちは無謀な大将に、ついて行こうと思わない。」と話します。

この三浦義村はなかなか鋭く、物語の要所で核心を突く発言を何度もしますね。

 

10月29日、頼朝自らも鎧をまとい出陣し頼朝軍は京に向います。

そのころ、義経の挙兵の情報は全国を駆け巡ります。

頼朝が鎌倉に来る前に過ごした奥州の藤原秀衡は、今回の戦は義経には勝機がないと

悟ります。そして「早まったな、九郎」とつぶやきます。

 

一方、京では、武士たちは鎌倉を恐れ義経に協力する者が少なく兵を集めることができません。頼朝軍は1万。対する義経軍は500です。

源行家は「お前の戦に意義がないから集まらない。挙兵はならぬと申したのに。お前を信じたわしが甘かった」と言って去って行きます。おいおい!!

このとき、ナレーションで「源行家の味方についたものは必ず負ける…といわれる死神のような男。この少しあと、鎌倉軍に捕まり、首をはねられる。」と。。この絶妙な

タイミングがいいですねえ

 

義経遁走)

数がそろわず戦にならないため義経も京都から逃げ出します。

義経は脱出の時、妾の静と離れ本妻の里を連れていくことにしました。里は、いざとなったら人質として利用できるからです。

義経は、静との別れぎわに「捕まったら、私との関わりは黙っていろ。生きたかったら黙っていろ」と伝えます。

義経の逃走を知った頼朝軍は、鎌倉へと兵を引き揚げます。

 源氏の兄弟対決を画策していた後白河法皇ですが、そのもくろみが外れたため「頼朝追討の宣旨は取消じゃ。改めて頼朝に義経追討の宣旨を与えなさい。」と言います。おいおい!!

 

(したたかな法皇

源頼朝は政子の父・時政に法皇様と鎌倉の橋渡しを頼み、時政は京の守護として義時らと共に上洛し後白河法皇と対峙します。

この席で後白河法皇は、頼朝追討の宣旨について「例の若造…九郎に脅されて無理やりさせられたものだ」と、その責任を義経に押し付けます。おいおい!!

しかし、義時は「されど、わが主は、疑うております。法皇様は、日の本一の大天狗。お言葉を信じてよいものか、と。」と言い、西国諸国を治めることを後白河法皇に認めさせます。

 

(やってきた義経

その晩。時政と義時のもとに、義経が姿を現します。

時政は「九郎殿は九州へ落ち延びたはず。偽物であろう」と言い、気を遣ったあとに

話を聞きます。

「兄上とのこと、なんとかならぬか?」と嘆く義経に、義時は法皇義経追討を命じたことを話します。

この話は義経には初耳で、これを聞いた義経は「奥州にでも帰ろうか」と言います。

しかし義時が、そうすると奥州で戦の火種が生まれると止めます。

義経は「自分は戦のない世で生きていけない」と言いますが、それに対し義時は「平家を振り回したあれだけの知恵があればどこでも生きていけます」と優しい言葉をかけます。

義経は「御台所に伝えてほしい。九郎は御台所の膝のあたたかさ、生涯忘れない」と言います。

時政は「あなたはおっしゃった。経験もなく自信もなければ何もできぬ。では自信をつけるには何がいるか?経験でござるよ。…まだまだこれからじゃ」と励まします。

優しいなあ時政!!

それを聞いた義経は微笑み「さらばじゃ」と言い去っていきます。

それを見た時政は「まるで平家を滅ぼすために生まれてきた方じゃ」と言い、息子の義時は「九郎殿は、まっすぐ過ぎたのです。うらやましいほどに」とつぶやきます。

第19話はこれでおしまい。なんかさびしい終わり方です。。。

(つづく)

 

【感想】

これは後味悪いですねえ。うーん。

そして、予告編であの方の姿が映りました。

アサシン善児です。

来週は、義経の妾の静御前が鎌倉に行く、そして義経の子を産む。。

そうなると・・・・

 

【おまけ】

(壇ノ浦放送を前に安徳天皇を偲ぶお祭りと

安徳天皇が沈んだ壇ノ浦に行ってきました)

2022年(令和4年)5月3日(火・祝)壇ノ浦に近い山口県下関市にある安徳天皇を祀る

赤間神宮で、安徳天皇を偲ぶ先帝祭・本殿祭があったので参列し、さらに平家一門の墓、安徳天皇陵、壇ノ浦などにも足を延ばしてきました。

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【鎌倉殿の13人に関する史跡を色々回って来ました。

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