日刊  おっさんの人生これから大逆転だぜえ!(日本史+史跡+旅情報)

普通の会社員の“おっさん”が、パワースポットや史跡、戦跡を巡った記録です。旅行に出かけるときの参考にしてね! 史跡や歴史から学び 運気を上げて、“人生大逆転”を狙います。

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8月26日 大阪毎日新聞と東京日日新聞(現・毎日新聞)の航空機「ニッポン号」が世界一周に出発 ~当時の雑誌の写真を交え紹介!~

(出典:航空50年史・昭和18年発行:デジタル国会図書館

https://dl.ndl.go.jp/pid/1068274/1/292

 

1939年(昭和14年)8月26日、
国産の飛行機ニッポン号が
初めて世界一周の旅に出ました。

(激化する新聞の部数獲得競争)
当時、大阪朝日新聞と大阪毎日新聞は、読者獲得の部数競争を繰り広げていました。

また1935年(昭和10年)に羽田飛行場が開業し、ようやく日本にも航空機が普及し始めていました。
そこで両社は航空機によるイベントを行い部数大幅獲得に乗り出します。
まず1937年(昭和12年)に朝日新聞が神風号で東京ーロンドンの連絡飛行に成功します。
翌年1938年(昭和13年)には東京帝国大学の実験機・航研機が長距離飛行の世界記録を樹立します。
そこで、負けじと、大阪毎日新聞は世界一周飛行を発案します。
使用する飛行機は、三菱重工製の海軍九六式陸攻の機体を改造した双発輸送機。全幅25m、全長16m、全高3.7mで、巡航時速は260キロ。三菱の「金星」発動機を搭載しています。

名称はニッポン号です。

8月3日に東京飛行場内の東京日日新聞社格納庫前でニッポン命名式が挙行されました。

【上記2つの写真は出典:世界交通文化発達史:昭和15年発行より:デジタル国会図書館https://dl.ndl.go.jp/pid/1068274/1/291】

満州航空の腕がいい機長がメンバーに)
世界一周に挑戦するメンバーは、親善使節を務める大原武夫(新聞社航空部長)、操縦士・機長の中尾純利、操縦士・吉田重雄、機関士兼通信士に八百川長作、機関士下川一、技術員・佐伯弘、通信士・佐藤信貞の7人です。 

【出典:世界交通文化発達史:昭和15年発行より:デジタル国会図書館

https://dl.ndl.go.jp/pid/1068274/1/292


中尾機長は当時、満州航空に所属していて、日本海の無着陸横断やバンコクー東京夜間飛行、東京一奉天夜間飛行などの業績を上げた腕がいい機長でした。

下は、昭和18年に発行された「航空50年史」に記載された、ニッポン号が想定していたルートです。文字が小さいから拡大して御覧下さい。

この長距離飛行に備えて世界各国に部品を送っていました。

(出典:航空50年史・昭和18年発行:デジタル国会図書館

https://dl.ndl.go.jp/pid/1059374/1/227


(8月26日、羽田を出発)
1939年(昭和14年)8月26日、この7人を乗せたニッポン号は、3万人の大歓声に包まれて羽田を出発します。

下の写真は、大歓声の中羽田空港を出発したニッポン号です。

(出典:航空50年史・昭和18年発行:デジタル国会図書館

https://dl.ndl.go.jp/pid/1068274/1/292

(出典:航空50年史:昭和18年発行:デジタル国会図書館

https://dl.ndl.go.jp/pid/1059374/1/226


(航行中に第二次世界大戦勃発で飛行ルート変更)
まずニッポン号は、札幌に立ち寄ります。下の写真は札幌での写真です。

(出典:航空50年史:昭和18年発行:デジタル国会図書館

https://dl.ndl.go.jp/pid/1068274/1/293

 

ニッポン号は、無事太平洋を横断し北アメリカに到着します。

(出典:航空50年史:昭和18年発行:デジタル国会図書館

https://dl.ndl.go.jp/pid/1068274/1/293

(出典:航空50年史:昭和18年発行:デジタル国会図書館

https://dl.ndl.go.jp/pid/1068274/1/294

 

その後、アンデスを突破し、アルゼンチンのブエノスアイレスに到着します。

(出典:航空50年史:昭和18年発行:デジタル国会図書館

https://dl.ndl.go.jp/pid/1068274/1/295

 

そして南米のあとは、ヨーロッパへと飛行するはずでした。

しかし、飛行中の9月1日、ドイツが突如ポーランドに侵攻し、これに対し3日にイギリスとフランスがドイツに宣戦を布告し、第2次世界大戦が勃発します。

そのためニッポン号は、予定していたベルリンもロンドンもパリも行けなくなり、ルートを変更します。

(帰還)
1939年(昭和14年)10月20日午後1時40分、およそ2ヶ月ぶりにニッポン号が世界一周から帰着しました。

羽田飛行場には十数万人の人があふれ、手に手に日の丸を振って大歓迎をしました。

到着の様子はNHKのラジオで全国に生中継されました。

(出典:航空50年史:昭和18年発行:デジタル国会図書館

https://dl.ndl.go.jp/pid/1068274/1/296

 

ニッポン号の乗組員たちは日本各地で大歓迎をうけます。
下の写真は10月26日、大阪での歓迎パレードです。

(飛行ルート)

55日間、飛行時間194時間、飛行距離5万2860kmの偉業でした。
下が、ニッポン号の飛行ルートです。

(出典:航空50年史:昭和18年発行:デジタル国会図書館

https://dl.ndl.go.jp/pid/1068274/1/290

下が実際のニッポン号世界1周の飛行記です。文字が小さいので拡大して見て下さい。

【出典:掲示教育 第3号:デジタル国会図書館https://dl.ndl.go.jp/pid/1437976/1/44 】

 

このニッポン号の世界一周成功は日本中を大熱狂させました。

下はニッポン号世界一周を取り上げた映像ニュースです。下をクリックして御覧下さい👇

・・・ということで8月26日は、
毎日新聞のニッポン号が世界一周に出発した日です。