神社・お寺・石碑・像・城
「瓜食めば子ども思はむ栗食めばまして偲はゆ・・・」で有名な山上憶良の「子等を思ふ歌」の歌碑が太宰府にありました! (偶然発見) 大宰府政庁跡から令和の由来になった坂本八幡宮に向かい歩いていたら、観世音寺に行く手前で歌を刻んだ石碑を発見しまし…
2022年(令和4年)10月1日土曜日、福岡県北九州市小倉北区にある小倉城で薪能がありました。秋の夜、虫の音を聞きながら かがり火で照らされたなかで舞う能の世界、雅な世界でした。 薪能は小倉城天守閣前広場で行われました。 (今回演じられたのは3品目) 1…
元号「令和」のもととなった福岡県太宰府市にある坂本八幡宮を参拝! (元号「令和」の起源) 坂本八幡宮は、大宰府政庁跡のすぐ横にあります。ここは元号「令和」の起源となった「梅花の宴」が行われた大伴旅人邸跡の候補地の1つと言われています。大伴旅人…
学問の神様・菅原道真が祀られていて、 元旦や受験シーズンには多くの人が集う福岡県にある太宰府天満宮。この太宰府名物といえば「梅ヶ枝餅」! 太宰府に来たら、これを食べなきゃ!太宰府と言ったら 梅ヶ枝餅!! 梅ヶ枝餅・・・とにかく、うまいのだ!!…
福岡県太宰府市の太宰府天満宮で2022年(令和4年)9月25日(日)夜8時「千灯明」があり見てきました。これぞ幽玄の世界!! (平安時代から900年以上続く儀式)学問の神様・菅原道真を祀る太宰府天満宮では、9月21日から25日にかけて神幸祭が行われています…
どうしてもやりたかったことの1つが、鹿児島県に行き、太平洋戦争末期にこの地から出撃した特攻隊の基地を訪れ、祖国を守るために出撃された方々への慰霊の旅でした。それが2022年(令和4年)5月に実現しました。残念ながら鹿児島県内にある全ての特攻…
直径4m、重さ5トンという世界最大級の巨大タイヤ!九州新幹線・鹿児島線 JR久留米駅の東口ロータリーにはこの巨大なゴムタイヤと、ゴム産業発祥の地碑があります。 (スタートは、はきもの産業) 福岡県久留米市。昔から商業と街として栄えた久留米市は、日…
船に乗り、扇子を片手に勢いよく荒海に乗りこむ青年。 この青年は紀伊国屋文左衛門です。 おっさんは、貧乏な家に生まれたので自分の才覚で財を成した人を尊敬し、自身も財を築きたいなあと思っています。(ただ、まだその領域には至っていません)その尊敬…
不死身艦の名をつけた白ワイン「涼月」! このワインの名前となった「涼月」とはどんな船なのか?見てみましょう。 (一等駆逐艦「涼月」とは) 「涼月(すずつき)」は、日本海軍の一等駆逐艦で、13隻ある秋月型駆逐艦の3番艦です。1942年(昭和17年)12月…
8月9日の原爆の当初の投下目標地で日本最大規模の兵器工場・小倉陸軍造兵廠の跡地に作られた「北九州市平和のまちミュージアム」に行ってきました。 ※なお、展示物の撮影およびブログなどの掲載に関しては 北九州市平和のまちミュージアムより許可を頂いてい…
2022年(令和4年)7月29日(金)は旧暦の6月30日にあたります。 当日夕方6時、古事記に神武天皇が東征の折に逗留したと記載されている岡田宮で夏越祭が行われたので参加してきました。 (古事記や日本書紀に登場する岡田宮) 岡田宮(おかだぐう)は、福岡県北…
福岡県北九州市・黒崎祇園山笠のクライマックスを迎える解散式が2022年(令和4年)7月25日の19:00〜20:30に開催されました。 (山車が綺麗な黒崎祇園) 黒崎祇園山笠とは、毎年7月の3~4週目の中で4日間、福岡県北九州市八幡西区の岡田宮、春日神社、一宮神…
上の写真観音様ですが、下をみると蓮の近くで、おっさんが腕を上に挙げているのがわかりますか?この蓮もバカでかい!!! 非常に大きな観音像ですよね。でかーーい!! この観音像の高さは62メートル。 1970年代の怪獣ゴジラ(50メートル)ガメラ(60メート…
凄まじい階段!!その数279段! しかも40度近い急勾配!! これは、山口県下関市彦島福浦町にある福浦金刀比羅宮です。 江戸時代には、吉田松陰も参拝しています。 (心臓破りの急階段、その数279段) 道路に面した鳥居、しかし福浦金刀比羅宮の本殿は山の上…
山口県下関市彦島に吉田松陰が立ち寄った小さな神社があります。 田の首八幡宮です。 この神社は室町時代、南北朝が統一される1年前の1391年に、彦島八幡宮の分霊を勧請祭祀したものです。 彦島八幡宮は1159年の創建、平氏が滅んだ壇ノ浦の戦いが1185年。こ…
京都に行ったときに 天下分け目の関ヶ原の戦いで敗れた 石田三成のお墓を偶然見つけました。 (大徳寺) 石田三成のお墓があったのは京都市北区にある臨済宗大徳寺派の大本山・大徳寺の塔頭(たっちゅう)の三玄院(さんげんいん)です。 大徳三玄院は、大徳…
この写真は江戸時代に、豪商が発行し流通していたお札です。 「飴屋札」といいます。 この飴屋札を発行していたのが福岡県の小倉藩の豪商飴屋です。 現在の福岡県行橋市には、飴屋の門が残っています。 これです。。大型時代劇で出てくるような素晴らしさ!…
この巨大な石。 京都嵐山の天龍寺にあります。その名も硯石。 その名の通り習字で使う硯の形をした石です。 (天龍寺の硯石) 京都市右京区にある天龍寺。その庭園には大きな硯が縦型で置かれています。 硯石の高さは約2メートル。人間の身長よりも高いです。…
安土駅のすぐ近くに若宮八幡宮がありましたので、電車を待つ時間を利用して参拝してきました。 (「若宮神社」?「若宮八幡神社」?正式名は何??) この神社、上記写真のように石碑には「若宮神社」と書いてあり、その隣の鳥居には下の写真のように「若宮…
終戦の年の1945年(昭和20年)6月18日、沖縄戦が繰り広げられていたなか、ひめゆり部隊に解散命令が出されました。 (ひめゆり部隊とは) 日本軍は終戦の前年、1944年(昭和19年)12月に沖縄県で15~19歳の女学生を中心に看護訓練を行います。そこで訓練…
戦国時代、織田信長の城下町として栄えた滋賀県の安土。現在、安土駅南口には、近代相撲発祥の地を記念して、 白御影石で作られた2人の力士が取り組みをしている石像が設置されています。 (相撲好きの信長) 信長の相撲好きは有名らしく、当時、日本に来日…
上の写真、農家や民家ではありません。 滋賀県近江八幡市にある 安土城の近くにある新宮大社の拝殿です。 (安土城に行く途中の神社) JR安土駅から信長の居城だった安土城に行く途中に大きな森のようなところがあり、 気になったので立ち寄りました。 ご存…
おっさんが1度は行きたいなあと思っていた城、 織田信長が標高199mの安土山に築城した安土城です。 (安土が選ばれたのは・・・) 信長が安土を選んだのは、水の利と地の利だと考えられています。 当時の琵琶湖はまだ干拓が進んでおらず、現在よりも広く…
斑鳩最古の古墳は、小さな公園のような、本当に小さい古墳でした! 藤ノ木古墳を見た後、法隆寺駅まで歩いていたら田んぼの中に小山を発見! これは、古墳じゃないか?とピンときたおっさんは、田んぼの中に入らないようにあぜ道を歩き近づきました。 すると…
藤ノ木古墳の近く、住宅地の中に小さな神社がありました。 鳥居をくぐり階段を上ると・・ 見た感じ、神社と言うよりは「おうち」ですね。 子守神社は、子供の守護神の「子守神」を祀る神社で日本各地にあります。 ここには子守大明神が鎮座しています。 中は…
出典:国立国会図書館「近代日本人の肖像」 (https://www.ndl.go.jp/portrait/) 嗚呼 弟よ 君に死に給うことなかれ・・・ で有名な歌を詠んだ歌人・与謝野晶子。 この与謝野晶子が5月29日死去します。数え65歳。 (堺に生まれる) 与謝野晶子は、1878(明治1…
東京港区と渋谷区にまたがる表参道。 しゃれたレストランやカフェ、高級服店などが建ち並び、流行最先端の街の1つとしてよくTVに登場する街です。 この表参道交差点の、みずほ銀行青山支店の手前に細長い黒い石の碑があります。 これは1945年(昭和20年)5…
江戸時代の1729年旧暦5月25日、 ベトナムからやってきた象が江戸にお目見えします!! (天皇と将軍に謁見した象) この象は、中国・清の商人が当時の将軍・徳川吉宗に象を献上したいと言い出した事がから始まりまし。 そして1728年、ベトナムの雄雌2匹の象…
【彰義隊の墓のすぐ近くの案内板に書かれていた戦いの図】 年号が「慶應」から「明治」に代わる 1868年旧暦5月15日、 江戸の町で新政府軍と幕府軍との戦いが起き、 幕府軍の彰義隊がわずか1日で壊滅します。 (彰義隊結成) 1868年(慶応4年)2月11日、鳥羽…
1615年5月8日、 大坂夏の陣で豊臣秀吉の息子の秀頼と、 その母淀殿が自害し豊臣家が滅亡します。 (豊臣秀吉死去、天下取りに動く家康) 1598年、豊臣秀吉は62歳で死去します。 この時、跡取りの豊臣秀頼は5歳の誕生日を迎える直前でした。 秀吉の死後、徳川…